また、適応障害になりました。

休職が始まって、2週間とちょっとが経った。

人生2度目の休職、そして、適応障害

 

前回適応障害になった時は、不動産の広告営業、かつ、いけいけメガベンチャー!(○クルート!)の社員だったので、自分でも”そりゃしんどくなるよね”というのが正直な感想だった。

でも、今回は違う。夢を抱いて、心からビジョンに惚れ込み、新卒で入社した会社に戻ってきたのだ。それなのに。

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昔から何となく「大人はこう私に意思決定をしてほしいのだろう」というのを察しながら、生徒会長や実行委員長を務め、リレーのアンカーを走り、中学までは学年TOPの成績を残してきた。

実家の経済事情を考慮し、関西でも優秀な国公立大学を目指し勉強に励んだ。一度も道を踏み外したことはなかった。

 

就職活動をしていた学生時代、周りの友人が弁護士や官僚、有名なメーカーや商社に就職していく中で、初めて”道を自分から反れた”。

ヤンキーの多い地元での生活を折に触れて思い出し、生まれた環境や育った家庭によって、希望を持つことにどうしてこんなに格差が生じるのだろう?と疑問に思ったのが、ずっと心の中に残っていたのだ。

 

そんな思いをもとに、社会課題の解決を強く謳う、今も所属している会社に入社した。最初は、発達障害をもつ子どもたちの先生として、療育を行う先生になった。学校連携や保護者連携を通して、日本の「子育て」「教育」に残る課題を解決するべく日々奮闘した。

仕事はすごく楽しかった。一方で、ずっと先生としてこの狭い教室の中に居続けたいのか?には毎日疑問を持っていた。

そこで、「もう少し社会人スキルがほしい」と思った私は、人材紹介の会社や不動産の広告営業の会社に転職をする決意をした。

しかし、ビジョンや理念を大切に働いていた私は、数値だけで判断される営業の世界や、スキルのない歳をとったおじさんが蔓延る中小企業の雰囲気に合わずに、職を転々とすることになる。長くて半年。3ヶ月で適応障害になったりもした。

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 そんな中、救いの手を差し伸べてくれたのが、新卒で入社した会社の人事だった。私のことを学生から知っていて、すごく優しく気をかけてくれていた人。

「僕の下で働かない?」と休職中の私に声をかけてくれて、人事として再入社したのだった。

その人のもとで働いていた半年は、正直にとても楽しかった。労働時間は長かったが生き生きとしていたし、すごくバリューを発揮していたんじゃないかと思う。

 

でも、半年後大規模な人事異動があり、その大好きなマネージャーも、人事部の中で大好きだった人たちも、次々といなくなった。

私も、新卒総合職採用というポジションではなく、専門職かエンジニア職の採用のどちらか、もしくは労務系も含めて選択するように持ちかけられた。

そこで、一旦エンジニア採用の部署に異動したが、そこの上司ととにかくウマが合わなくて半年でめちゃくちゃ辛くなった。

毎日「すいません」「申し訳ありません」と謝り続ける日々に疲れた私は、プレッシャーに負けてしまい「人事職」は向いてないのかなと思うようになった。

そこで、チームで人の支援をしたい(個人で負わされるKPIやタスクから開放されたいという思いも少なからずあった)と思い、福祉事業部の方に異動願いを出した。

半年後くらいにと思って相談したのに、二週間後に異動が決まった。

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異動したのは新規の拠点だったので、毎日が怒涛の日々だったけど、お局みたいな人もいなくて自分も頼りにされながらも、最年少だったので比較的のびのび働いていた。

しかし、半年ほど経つと利用者さんも慣れてきて理不尽なクレームやご意見が目立つように。

配布物の紙に誤字があっただけで「大学出ているくせに馬鹿にしているのか!刷り直せ!」と皆の前で怒鳴られた時は、悔しくて怖くて個室で泣いた。

「お前と話している○○さんは下心があるはずだ。気持ち悪いからボコボコにして病院送りにしてやる!」と言われてから、他の利用者さんとも話せなくなっていった。

そこからどんどん歯車が狂って行って、会社に行くのが怖くなった。

いつ「無視してるんだろ!」と怒鳴られるかと思うと胸が苦しかった。(実際、最近僕のこと避けてますかね?と他のスタッフに質問しているのを聞いた。)

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そして、今日に至る。

運が悪かったとも思う。

人事異動がどうしてこのタイミングなの。どうしてこの人がいる拠点なの。

でも、あのタイミングじゃないときっと今の会社に戻れなかったし、人事をやれたことは私の人生にとっての財産だし、後悔はしていない。

 

今の会社を手放すことは私にとってとてもつらい決断になる。もう戻れないと思う。

今の会社をやめるのなら、もう福祉には関わらないと決めている。

でも、本当にそれでいいのかな。本当にやりかったことじゃなかったのかな。

 

そんな気持ちがぐるぐるしたまま今日も過ぎる。

雨が降ってるけど外で遊びたいと言ったところから私の失敗恐怖症は始まった

思い返せば昔からとにかく親から怒られることが怖くて仕方なかった。

幼少期の頃からどうやったら怒られないかばかり考えていた。

これは私が生まれ持った性格かもしれないし、育った環境のせいかもしれない。(というのも、親が物投げる、ヒステリーに叫ぶ、叩く蹴るが割と日常茶飯事の家だったのだ…)

 

そんな私が幼稚園で一回だけ怒られたことがある。雨の日に、「外で遊びたい」と言ったのだ。

その先生に怒られた経験を、母は私が中学生になるくらいまで頻繁にネタとして話していたが、私は恥ずかしくて仕方なかった。

失敗することは恥ずかしい。みんなに見られているのだからしっかりしなければと心が震えた。

 

また、母はよく私が失敗すると「ほら、お母さんの言った(心配した)通り」とどこかうれしそうにするので、私はそれがとても嫌だった。

失敗するのが嫌で、常に最悪の事態を想像するようになった。

その想像よりも失敗が小さく済めばホッとするし「私もわかってたもん」と言い訳できると思えた。

 

負けることが恥ずかしくて、勝てない試合はしたくなかった。常にスタートダッシュを意識し、勝ち逃げスタイルを貫いてきた。
決して、後から挽回することはなかった。(唯一例外は浪人の時だけ)

高校生の時に赤点になりそうな教科があったので、学校を逃げ出しロフトで時間潰しをしていたら学校中捜索され、親に連絡がいき、結果めちゃくちゃ怒られたのは、自分でも頭がおかしかったなと思う。

とにかくそれくらい失敗や負けが嫌だったのだ。

 

そんな私が今の自分に対して「まあそういうこともあるよね」と認められるようになったのは150%旦那氏のおかげだなぁと思う。

ただ、この失敗恐怖症は厄介なことに「人間関係」を築く上でもじわじわと私を苦しめ続ける。

怒られることや注意をされることが苦手で、職場での指摘に心が耐えられない。
職場でも同期や同僚が何をしてるのか気になる、自分がどう思われてるのか気になる。
自分のことが嫌いそうな人がいるだけで、頭がその人の事でいっぱいになり何も手につかなくなる。(顔を見ると動悸がする)
変化が原因で嫌われるのが怖くて、進学する度に友達と全く連絡を取らなくなる。

そんな日々が続いた。

そんな日々から抜け出せる日はいつかくるのだろうか。

すごく疲れたなあぁという気持ち

お疲れ様です。

現在、とても疲れています。

 

毎日毎日人と話すのがまず疲れる。

まあ、私の場合は長期的に関係を構築している人よりも

初対面の人との方がうまく当たり障りなくやれるタイプなのですが。

 

それでも毎日毎日人に自分の価値観とか生い立ちとか話すの疲れた。

 

面接得意やし、話すの得意やけど、そんな私でも今めっちゃ疲れている。

 

話すの苦手な人、ゆっくり考えたい人・表現したい人、初対面だとうまくやれない人

きっと就職活動大変だったんだろうなと思う。

 

どうしても評価される側、する側って感じで立場が違うじゃん。

内定もらえるまでこっちはビクビクじゃん。

すごい肩が凝って、毎日よく眠れません。

 

普段あんまり自分の言動とか特に気にしないタイプだけど

さすがに面接の後は「あれ言わんほうがよかったかな~」とか

「あの時のあの反応、絶対よく思ってなかったよな~」とか思うもん。

 

これで毎日独りぼっちやったらマジで病むわ。

1時とかにしか帰ってこーへん日々が最近続いてるけど

よく話して、よく聞いて、よく笑って、よく寝てくれる人が側におる安心感やばいな。

 

「寝れへん!!」って3時につついて起こしても

「うーん、、、代わりに寝てあげるね~」って2秒後にいびきかきながら

爆睡してくれる人でよかった。

 

はあ、それにしても最近すごく疲れている。

難聴と私

今日は難聴について書こうと思います。

 

初めて難聴になったのは、新卒の営業研修の時かな。

営業研修の最中に3日くらい実家に帰って、朝起きたら片耳がすっごい違和感あって、自分の声がこもって聞こえて。

三半規管がおかしいから普通に生きてるだけで頭痛と吐き気がすごくて。

普通に息してるだけでしんどいの結構きつかったなw

 

あの時は社会人になって右も左もわからない中でプレッシャーもあって、生活リズムも、ご飯の質も変わって、きっと体が悲鳴を上げてたんだと思う。

 

2週間くらいかかったけど、病院の薬飲んで治ったけど、正直いつ治るかわからんくて朝起きるのが怖かった。

 

そんで一週間前、ついに難聴が発症した。

 

「ギリギリまで頑張ったほうがいい」

「離職期間はないに越したことはないから、耐えよう」って

いろんな人に言われて、そらそうやなぁと思いながら心を無にして働いてたけど

ほんっとに無理だったんだと思う。

 

職場の事業内容の不誠実さ

売り上げしか気にしてなくて求職者の悪口が飛び交う職場

論理的な話が一向に通用しないおじさんたち

発達障害のあるスタッフへの暴言、罵倒

飲み会でのセクハラ発言(胸無いとか言われたり、無理やり抱き着かれたり、シンプルにアウトなやつも多数)

退職を考えていることを伝えると掌返したように「学歴だけはあっても・・・」と嫌味を言われる日々

 

あ~しんどかった。

 

しんどいことをあまり見せてない人には「なんで!?」って驚かれるけど

きっとずっと違和感があってもやもやしてた自分に嘘をつきながら、だましながら働いてたんだと思う。

そうじゃないと辛すぎたから。

 

難聴、また治らなかったらどうしようと思った。

面談もたくさん入れてたのに、話すと声が反響して頭が痛くて。

テレビの音とかには過敏になってたから町中がしんどかった。

 

なんでこんな目に合わないといけないねんって思ってたけど

そんな環境を選んだ自分が憎らしくて、自業自得だしなあって思いながら。

 

面談を繰り返すうちに今の環境がおかしいことを外部の人からも認めてもらえて

「あ、これはやめよう」と思って、やめる決断を腹の中でしたら次の日に難聴が治ったw

 

まあ、そんな感じで今はぴんぴんしてて、面談・面接に元気に生きながらゆっくり休憩をしてる日々ですよ。

たまには休息も必要だ、自分。

 

難聴はくせになるっていうからなあ。

あんまり再発してほしくないんだよね。

 

よき職場に巡り合えますように。

現状をキラキラに見せる病気

に名前があったら、私それだと思うんだ。

 

日々が苦しい・つらいって言ったら

「え?!めっちゃ楽しそうにSNS更新してたじゃん!?」と

驚かれるんですよね。

 

確かに。楽しそうに更新してた。

万事うまくいっているようにキラッキラに見せて書いた。

 

だって、そうしないと心が死ぬんだもん。

皆にうらやましいって、いつも上手くいってるなって思ってもらえないと

劣等感で死ぬから。

 

前職のマネージャーはアセスメントを取る神だったから

「君のキラキラは嘘が透けて見えるんだよね。」って言われたことあって

「他人に素が見せられないから本当は誰よりも一人でいるのが好きなんだね」

って言われたのがまさしくその通り過ぎて、マネージャー嫌いになった。笑

 

たぶん初対面に近い状態でこれ言われたもんなあ。すごい。笑

 

きっとその通り。ずーっと見栄張ってないとしんどいのよ。

この人より、自分は幸せだって思いたいの。思わないとダメなんだ。

 

嗚呼、生きづらいなあ。なんでこうなっちゃったのかなあ。

 

 

マッサージが気持ちよくて涙が出そうになった話

せっかくなのでもう一つくらい投稿を。

 

久しぶりにマッサージに行ってきて

肩とか腰とかじんわりじんわりほぐしてもらったのね。

したら、なんかむしょ~~に泣きたくなった。

 

めっちゃ目も肩も腰も酷使してパソコン業務やってきたなあ

でもその業務詐欺みたいな仕事で全然自分のしたいことじゃなくて

給料も低くてネイルもマッサージもずっと我慢して買い物もほとんどしてないし

(まあ、スペインいったけどwww)

なんのためにこの会社いたんやろ~~~~~時間返せ!あほ!

悔しい、悲しい、怒り、、、みたいな。

 

でも、面接では気高く振舞ってるし、すげえ自分。

泣き言言ってないよ。

 

でもなんで3月末で退職したのかはつっこまれるやろなあ。

まだ、3月末って一般的にキリはいいけどな。

 

けど、自分の人生において重大な意思決定するときやし

何かを捨てなければ得られないものってあるとおもうねんな。

あくまでも冷静に人生に向き合うためって言おう。

長い人生の中で一か月くらいのリフレッシュ期間、許してあげよう。

 

前みたいな意思決定しないように。

 

職を手放すという決意

はあ、つかれた。

 

久しぶりにブログを書けます。

いろいろと修羅場でした、毎日。

 

結論、3月末に退職して4月にいろんな会社を見て面談・面接してもらって

5月1日から新しい職場に行けたらいいなと。(GWか・・・)

 

もう会社の人と話すのも嫌なので、退職代行サービスを使おうと思います。

今の世の中便利だね。金さえあれば。

 

こんな私はどこに行ってもだめだ、死にたいと思うことも結構あるけど、

面接で仕事の話したら

「そんな会社でよく8か月も頑張って耐えたね」

「そこにいる意味はもうない、うちにおいで」と言ってくれる会社さんにあった日は

すごくポジティブになったりしてやや躁鬱傾向にあります。

 

だから、本当はもう会社に勤めないほうがいいのかな

結局皆に迷惑をかけるのでは!?と思ったりしましたが

いや、そもそも今までの環境特殊すぎるやろ?!

(特性の強い人がたくさんいた教室で年上の人に泣きわめかれたり)

(高卒ヤンキーみたいな人だらけの会社で詐欺まがいの仕事したり)

とも思うので、最後にもう一回だけ自分にチャンスをあげようかなと。

 

普通の会社で、それなりにビジョンもしっかりしてたらもう売るものとかにも

特にこだわりもないし・・・

 

次の環境でも無理だったらもう無理なんだと思う。

 

会社選ぶの難しいなあ。

この経験を生かして誰かを助けられたらとは思うんだけど・・・

 

今日はご飯作ってひでさんをまとう。