週4正社員になることにした

今年の6月から週4正社員になることにした。

 

理由は色々あるからダラダラ書いてみる。

・イラストという自分がやりたいなと思えることが仕事以外に見つかった。

・週5で他人と関わり続ける、同じ職場に行き続けることがしんどい。

・今の職場で目指したい場所ややりたいことがない。

・正社員という肩書は念のため持ち続けたいし、会社も居心地はいいからやめたくない。

・頑張らなくても生きてていいと思えるようになった。

 

もともと生きることに大義名分が欲しかった。

テストでいい点数が取れないと生きてる価値がなかったし、

誰から見てもいい大学に入らないと生きてる価値がなかったし

周りの大人から凄いねと思われる存在でないと生きてる価値のない幼少期だったから。

 

誰かのために頑張っていて社会貢献性の高い仕事をしていて

ある程度会社の中でも重要な役割を担っていて仕事が出来る人じゃないと

生きてる価値がないかな~って思いながらもがきつつ社会人をして7年。

 

もう別にそうじゃなくても私の人生、どんどん時間は過ぎていくし、

ただ美味しいものを食べて、気軽に旅行に行って、職場でもそこそこ必要とされて

自分がちょっと得意かもとか楽しいなとか癒されるなと思うことに時間を使う。

そんな生き方をしていくのがいいかな~と思うようになった。

 

なんだかちょっと堕落的になった気もするけど、別にそれも問題ではない。

 

夫と結婚出来て、週4正社員が選択できる会社で働いている時点で

私はかなり運のいい人間なので、これからも運をこぼさない準備だけして生きていく。

復職を認知行動療法を使って勢いで決意した話

復職を決意するにあたって鍵となったのが「旦那氏からの言葉」と「本」の2つだった。タイミングよく、うまく作用したのが良かったのだと思う。

 

週末、友達が遊びに来ることになった。

私は旦那氏以外の誰にもリアルで休職をしていることは言っていない。

だから、友達と遊んだり帰省して仕事の話になる度に「そこそこ大変だけどまぁぼちぼち頑張っている」という嘘をついていた。

しかし、そんな私を見かねた旦那氏が「週末友達がきた時に休職のことを言ったらどうか」と提案してきたのだ。

 

最初は「言ったらどう?」くらいの雰囲気だったが「言ってやろうと思っている」と旦那氏の心の中ではほぼ確定した事項の事のように言い直した。

その時私は結構衝撃を受けて、「え、嫌だよ〜」とヘラヘラ笑うリアクションしか出来なかった。

 

どうしてそんな事言うんだろう?どういうつもり?

ずっと自分の中で大事にしてきたプライドとか、こだわりとか無視して勝手に言おうと思ってたの?

そんな怒りが、かなり強かったけど、表出しなかった。出来なかった。

 

そんな私に再度旦那氏は「どうして嫌なの?」と理由を尋ねた。

たくさん理由はあったけど、伝えるのがしんどすぎて「え、嫌だから」と答えた。

 

そこから二人でこの話はしなかった。

 

休職の開示を促された時、自分の中に自動思考として

・言っても誰にもわかってもらえないのに、同情されるなら死んだほうがまし

・旦那氏は私の病気のことを軽々しく思っているように感じる

・私の意思を尊重してくれないなんて、ひどすぎる

など攻撃的や悲観的な感情が有象無象に湧いた。

しかもその感情をぎゅっと押し殺したせいで、グツグツ煮詰めて濃縮された気がした。

 

次の日に、思い立って本屋に行って認知行動療法の本を購入した。

その本を元に、まず「自動思考」と「スキーマ」について正しく認識した。

「自動思考」とは長年の思考の癖で生じる、ごく自然に自動的に浮かんでくる思考のこと。自分にとって最も親しみがあり、納得できる考え方なので簡単に変えられるものではないということ。

そして「スキーマ」とは自動思考よりもっと根深い”生きる上でのルール”に当たるもの。一番根底にあるもので、意識にすら上りにくいとか。

 

改めて言語化すると私の「スキーマ」は

「多くの人に承認されていないと生きている価値がない」

この一言に尽きるのだと思う。

新卒採用面接までは学力(=大学名)で自分の評価が確立していたから、自分に自信もあったし、自己肯定感高くのびのびやれていたのだと思う。

それが、社会人になって学力や大学名が関係なくなり、次は役職や会社名にこだわるようになった。

リアクションが薄い淡々とした人は承認されているかどうかがわかりづらいため、仕事上でも付き合いができなくなり、指摘されただけで自分を全否定されたように感じるようになった。

 

このスキーマによって生じた自動思考が今回のケースだと

・社会人たるもの正社員として働いて当たり前

・休職していたり精神疾患であることは恥ずかしく人に言ったら同情される

・私の気持ちなんて誰にもわかるわけがない

というもので、旦那氏の言葉への反発に繋がる。

 

そして上記のような自動思考が生まれる原因の”認知のゆがみ”には以下の10パターンがあることも理解した。

①ゼロか無か思考②一般化のしすぎ③心のフィルター④マイナス化思考⑤結論の飛躍⑥拡大解釈・過小評価⑦感情的決めつけ⑧すべき思考⑨レッテル貼り⑩個人化

これがまぁ、全体的に全部自分に当てはまる。

 

ワークでは、このような自動思考に反論するように促された。

・別に正社員でなくても生活出来るくらい稼げたら問題ないかも

・正社員でない期間があっても、長い人生別に問題ないかも

・言っても別に同情されないかも

・開示してみたら何か変わるかもという優しさから提案してくれたのかも

こんな感じだろうか。

 

意図的に無理矢理にでも可能性を書き出すことで蝕まれていた心は少し回復した。

もしかしたら認知行動療法の本的には

「だからまぁ、一旦今の会社に無理やり固執するのはやめて、ゆるやかに生きる方法を探してみるか」という結論に導きたかったのかもしれない。

 

しかし、私は思ったのだ。

これからも自分にこうやって表面的な反論を言い聞かせるのしんどすぎる。

「多くの人に承認されていないと生きている価値がない」がスキーマなら、「多くの人に承認されて生きていたい」という願望も紛れもない私の本心なのではないかと。

だからこそ「正社員でいたい」し「会社名にもこだわりたい」し、やっぱり「休職していることも適応障害のことも誰にも言いたくない」のだと。

そこで、「あ、だったら復職するのが一番早いかも」と結論づけた。

うまくいかないかもしれないし、結局環境は変わらないから再発する可能性もかなり高い。

でも、自分が好きで居られる自分でいるためにこんな生活を続けるわけにはいかないのだ。

 

それに、今回の認知行動療法で少なくとも旦那氏の言葉に対して突発的に浮かんだ怒りは自分の中でちゃんとコントロールし、意図を理解した。

他者からの言葉の受け取り方や、他者のリアクションの捉え方を認知行動療法を用いて変化させられたら、自分の根底は変えなくてもダメージは少ないかもしれない。

まずは、そっちを目指したい。

それでもダメなら、生き方を変える方にシフトしたい。

そうならなくて済むように、最後までもがきたい。

”べき論”と”思い込み”で自分の首を絞めた話(家庭・職場の類似例)

今日朝からなんだかものすごく悲しくなって、泣いた。

その原因を自分の中で色々考えていると、家庭での出来事と職場での出来事が似ている要素があることに気付いたのでメモしておく。(こんな風に自分はストレスをためて爆発するんだな、の気づき)

 

今回のストレスはきっとこんな感じ。

・最近旦那氏の仕事が忙しい(事実)

・何も言われなくても自分が昼夜共にご飯を作る事が多くなった(事実)

・特に旦那氏からは頼まれていないが、時間の余裕や今の生活全体のバランスを考えると当然自分が作るべきものである(べき論)

・そもそも自分がご飯を作りたくないと思うことはおかしい(思い込み)

・自分がご飯を作ることをどこかで期待されているに違いない(思い込み)

・ご飯も作らず、働きもしないなんて自分の生きる価値はない(極度な思い込み)

という感じに事実から派生した自分の思い込みとべき論で苦しくなっていった。

そこで、「ご飯を作らない」と宣言してみたが、罪悪感で心が死んだ。

 

「たまには一緒に御飯を作って欲しいな〜」とか「作るのめんどくさいから出前にしよう〜」とライトに言えたら良かったが、ただでさえも忙しい旦那氏と、現状専業主婦の私。

お願いすること自体がおこがましかったし、普通に考えて(?)おかしいことだと思ったから言えなかった。

そして、爆発するまでご飯を作ることは楽しいし、旦那氏の役にたてて嬉しいと本当に思っていた。

でも、気付いたら自己否定に溢れ、料理も嫌になってしまっていた。

 

これに似たことが職場で爆発する前もあった。

・職場でスタッフの数が減っていった(事実)

・自分以外のスタッフは残業がとても多くなっていた(事実)

・職場の雑務や突発的な利用者対応は私が全てやるべきである(べき論)

・最年少の自分が出来ることはこれくらいしかないし、どこか皆に期待されているに違いない(思い込み)

・そもそもこれくらいの事できないなんて支援者失格だし、この職場に存在する価値がないのではないか(極度な思い込み)

こんな感じに事実からどんどん逸れて自己否定しストレスになっていった。

爆発するまでは、支援も楽しかったし、役にたてて嬉しいと思っていた。

気付いたら何もかも嫌になってしまっていた。

(職場ではこれに加えて色んな事が積み重なっていたので、これが一番の原因ではないかもしれないが。)

 

旦那氏も職場の人も優しくて「無理にしなくていいよ」「出来る範囲でやってね」と言ってくれてた。

でも、その自分の良心に「やる・やらない」が任されている状態が、変にプレッシャーに感じてしまって「やらざるを得ない」になっていったのだと思う。

だったら、まだ「やってほしい」とお願いされた方が気持ち的に楽だったし、もしかしたら断れたかもしれない。

常識的に考えて(?)自分がやったほうがいい事を、自分の気持ちを理由に「したくない」と言えなかったし、「助けて欲しい」と言えなかった。

そして、やることは料理も雑務も難易度は高くないことだったけど、「やらないといけない」が積もってしんどい気持ちが大きくなっていった。

「やっぱり出来ない」と言うことが、相手をがっかりさせてしまうんじゃないかと怖い気持ちがつきまとった。

 

今あらためて事実と自分の主観や感情を整理してみると、事実はすごく少ない。

旦那氏の気持ちも職場の人の気持も確認しないままに、自分で勝手に潰れていってるだけだなと思った。

 

私は”一緒に”という言葉がとても好きだ。

一番ご機嫌に長く務めた職場の上司はよく「一緒に頑張ろう」と言ってくれた。

旦那氏もよく「一緒にやろう」と言ってくれる。

仮に9割私がやることになっても「一緒に」と言ってくれるだけでかなり心が楽になるものだ。

 

今日私は何も言わずに泣いていたが、旦那氏は一緒にごはんを作ってくれた。

ミーティングとミーティングの間に買い物にも行き、料理の下ごしらえまでしてくれて本当にありがたかった。

次からはもっと上手にお願い出来たらいいなぁ。ごめんね。

自分の「嫌なこと」

昨日お風呂に入りながら旦那氏と話していたら「少しだけ前向きな気持になれてきているんじゃないか」と教えてもらった。

絶望的に眠れずに苦しい夜も全然まだまだあるけど、少しそうなのかもしれないなと思えたので今の思考を書き出してみることにしよう。

 

昔はもっと「自分はこれが好き」とか「自分はこれがしたい」が明確だった気がする。

でも、それが自分の本心だったか今はあんまりわからない。

大人の顔色をみて「これがきっと正解だ!」と思うものを潔く選んできたし、拒絶の意思表示は大人から嫌われるから、子どもながらに極力しないようにしてきた。

でも、最近「自分はこれが嫌」とやっと言えるようになってきたような気もする。

 

そこで、今の私の「嫌なこと」を書き出してみる。きっとこれは本心。

 

・他人から否定されたり怒られたりしたくない

仮に善意のフィードバックであっても、言葉選びやその人との信頼関係によっては自分を全否定されたように感じる。声を荒らげられたり、暴力的な発言をされるのはもってのほか。妙に繊細でプライドが高いのが原因。

・他人と比較されたくない

定量的な比較だと「負ける=自分は価値の低い人間だ」という自己暗示がかかってしまうから、避けたい。定性的な比較でも「○○さんの方が好かれている」というのがダイレクトに伝わってくるのは無理。逆に好かれようと頑張りすぎて心を壊してしまう。

・他人に合わせたくない

自分が休みたい時に休みたいし、一人になりたい時が多い。でも、そうやって勝手に振る舞ってしまう自分にどうしようもなく自己嫌悪するから結局合わせざるを得ない。合わせないと居心地が悪いし、合わせると疲労感がヤバい。体調を最終的に崩す。

 

こう書き出してみると、結構社会に適応するのが難しいなと思う。

特に職場で週5日最低8時間、他人と顔を合わせて、シフトを皆で調整し、他人にサービスを提供する仕事はどう頑張っても不可避なことばかりだもんね。

KPIの達成率で評価を決めざるを得ない民間企業で働いている限り、常に誰かから何かを見られている事は続くしね。

逆に自分がマネジメント者の立場の時は孤独だったけど、誰にも怒られず比べられずに、自分で何もかもコントロール出来てよかったな。(それでもマネージャーには詰められたし、クレーム対応しなきゃだし結果病んだけど。)

 

とりあえず、嫌々思考をひっくり返してみるとこうなる。

・自分で全て(シフトややり方やノルマ)をコントロールしたい

・出来るだけ関わる他者を少なくして、自分一人で仕事を進めたい

うーん、これはもうフリーランス一択!笑

きっとヘルシーに働き続けるためには何か確固たる知識を身に着けてフリーランスになるのが一番適している気がする。

 

長い時間働きたい日もあれば、ずっと寝ときたい日もある。

すごく飽きやすいものもあれば、意外と飽きないでいられるものもある。

一つの企業の中で、決まった時間決まったことをやり続けるのってすごく難しい。

当たり前を、当たり前にするのがすごく難しい。

きっと皆嫌ながらも努力してキープしているんだろうけど、自分の精神状態はその難易度が人より高いんだろうなと今は思う。

 

今までのキャリア的に、教育・福祉系でフリーランスになれて食いっぱぐれないものって何かなぁ。

この界隈、意識高い人がたくさんいて、正直その熱量は今しんどすぎるんだよね…

一旦扶養内に入りながら、会社に属さない生き方も検討してみようかなぁ…

エージェントとの会話で久しぶりに前向きになれた日

最大手転職エージェントさんの力をお借りして、転職についても前向きに検討を進めてみた。

 

■話したこと

適応障害になってて今日まで結構色々不安だったこと

・一通りの職歴、辞めた理由と都度の意思決定の理由

・まだ復職する可能性もあるし1月末まで休めるし金銭的な焦りもないからちゃんと色々比較して意思決定したいこと

・今まで人間関係が原因でストレス過多になってきたけど営業職以外の職種は楽しくやってきたこと

・ビジョンや理念みたいなものもやっぱり生きる上で大事にしたいこと

 

■言われて嬉しかったことや嬉しかった姿勢

・話が端的でわかりやすく、コミュニケーション能力の高さと他者と信頼関係を構築するのが得意であることが瞬時に伝わってきたとフィードバックしてくれた

・職の選択一つ一つに納得感があり、短期離職についてもカバーして先方に説明出来ると言ってくれた

・一番楽しかったことややりがいを感じたことについて言語化出来るか聞いてくれた

・自分が失敗体験だと感じたことに対してはさらりと受け流してくれた

適応障害の現状ついても心配とヒアリングしてくれた

 

今まで嫌になっては仕事を変え、結果短期離職するという連続だったからあまり転職には前向きじゃなかったけど、昨日でその不安少しだけ解消されたかも。

解消というか、まぁなるようになるかなぁと思えた感じ。

過度な期待は持たないようにして、色んな求人見てみようと思う。

夜眠れない時の思考

夫にコーチングを進められて取り乱してしまってから3日。

夜眠るのが怖くなってしまった。

コーチングをして、今までのこともこれまでのことも言語化して、前に進めるようにしていかなきゃって言われたけど。

 

ごもっともなんだけどさ。

 

理想を言語化することで、そうあれない自分への苛立ちとか悔しさとかで頭がいっぱいになりそうだし。

「何がしたいんですか?」とか「どうありたいんですか?」とか聞かれただけで、吐き気がしそう。

 

言語化したくないし、考えたくないのが今の自分だったのに。

「ずっとそうしているわけにも物理的に(傷病手当の期限とか)難しいでしょう」って言われて、嫌でもぐるぐる考えてしまうようになった。

戻ることも怖い、対人支援したくない。社会的に迷惑な人達を、また社会に戻す仕事に思えてしまって、もう関わりたくないと思ってしまう。

 

でも、対人支援意外に自分が出来ると思えることも、強みを活かせそうなこともない。

働かないと、自己肯定感がえぐれていく一方だし。

ずっと家にいるだけだと、夫と自分を比較して余計に罪悪感とか劣等感で死にそう。

でも、実家には死んでも帰りたくない。

どうやって生きていったらいいかわからない。

アドラーの目的論で「適応障害」を考えてみた

昨日書いたブログを自分で改めて読み返すと、なんだか言い訳ばかりで恥ずかしくなった…。機会に恵まれてきているのに、なんだか台無しにしてきた気がした。

 私はもともと自分の心のしんどさの原因を過去のトラウマに紐付けて考えることが多かった。

というか、過去のトラウマのせいにしたいと今も思っている。そのほうが自分を守れる気がするから。

 

そんな私がくらげ氏にオススメされてアドラーの「嫌われる勇気」を読んだ。

アドラー「過去はなかったもの。自分の行動は全て自分の目的を叶えるために行っているものである。」「人間関係に臆することがなくなれば、もっと自由に生きられる」と言ってきて、ひどく衝撃を受けた。

後半については今日は割愛して、前半の目的論にのっとって自分の現状について考えてみる。

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私はなんのために適応障害になったのか、そしてなっているのか。

ずっと頑張らなくてもいい理由が欲しかったのかもしれないな、と思う。

あとは、どこかで自分は特別な存在だと思いたいのかもしれない。

 

昔から、失敗にすることに対しての恐怖心が人一倍強かったから(ここについては、また後日書く)失敗しないために、誰かから怒られないために、嫌われないためにとにかくリスクヘッジをして、常に最高のスタートダッシュを切って生きてきた。

 

だけど、新卒で入社して2年で教室長になって、ある程度社会人として最初の目標を達成してしまった瞬間に、プツンと糸が切れてしまったのかもしれない。

休みたいけど休めなくて、必死に頑張らなくてもいい理由を探した。

大好きな会社の中で「頑張れない自分」になるのが嫌で、頑張れなくなる前に転職した。

頑張らなくてもいい場所を探すために転職した。

 

転職しては「風土が合わない」とか「人と比べられるのがしんどい」とかを理由に、入っては辞めを繰り返し、病院に行き、診断をもらった。

それでも家に引きこもるのではなく、もがきながら転職を繰り返したのは、自分という人間のアイデンティティを守るためだったと思う。

今まで築き上げてきたものが崩れるのが嫌だった。

それでも、自分の心を守るために一回目の休職を決断した。

 

ここまで書くと、とにかくめちゃくちゃだし、会社からすると超迷惑だよなと思う。一方で、自分は自分のことが好きだし、自分のことを大事にしたいから頑張ってきたんだなとも思う。

 

そんなことを繰り返している中で、私はくらげ氏というパートナーを手に入れた。

「頑張らなくていいよ」って、常に言ってもらうことが出来るようになった。

 

もう頑張らなくていいので、まずは形から入ろうと思って、どれだけ周りが忙しくても定時に上がるようになった。

仕事の余裕があっても他の人の仕事を巻き取らずに適当に過ごす時間を増やした。

それなのに、結局「周りからどう見られているんだろう」とか「サボっている罪悪感やばい」とかの雑念は毎日付きまとったし、結局頑張らないで過ごすほうがしんどかった。

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今私はなんのために適応障害になっているんだろうか。

適応障害という、社会から少し外れている”特別さ”が今は自分を守るものになっているんだろうか。

 

なんかそう思うとすごく甘ったれた人間だなと自分に対して思う。

そして、誰かにしょーもないねと笑われそうな気もする。

私だってそんなもののために自分の生活リズムを崩したり、健康を脅かしたりしたくない。

それでもそうなり続けているのは、ずっと誰かに心配されていたいという深い願望があるからなのかもしれない。

この負のサイクルを断ち切る思考を休職期間中に見つけられると良いのだけれど。