復職を認知行動療法を使って勢いで決意した話
復職を決意するにあたって鍵となったのが「旦那氏からの言葉」と「本」の2つだった。タイミングよく、うまく作用したのが良かったのだと思う。
週末、友達が遊びに来ることになった。
私は旦那氏以外の誰にもリアルで休職をしていることは言っていない。
だから、友達と遊んだり帰省して仕事の話になる度に「そこそこ大変だけどまぁぼちぼち頑張っている」という嘘をついていた。
しかし、そんな私を見かねた旦那氏が「週末友達がきた時に休職のことを言ったらどうか」と提案してきたのだ。
最初は「言ったらどう?」くらいの雰囲気だったが「言ってやろうと思っている」と旦那氏の心の中ではほぼ確定した事項の事のように言い直した。
その時私は結構衝撃を受けて、「え、嫌だよ〜」とヘラヘラ笑うリアクションしか出来なかった。
どうしてそんな事言うんだろう?どういうつもり?
ずっと自分の中で大事にしてきたプライドとか、こだわりとか無視して勝手に言おうと思ってたの?
そんな怒りが、かなり強かったけど、表出しなかった。出来なかった。
そんな私に再度旦那氏は「どうして嫌なの?」と理由を尋ねた。
たくさん理由はあったけど、伝えるのがしんどすぎて「え、嫌だから」と答えた。
そこから二人でこの話はしなかった。
休職の開示を促された時、自分の中に自動思考として
・言っても誰にもわかってもらえないのに、同情されるなら死んだほうがまし
・旦那氏は私の病気のことを軽々しく思っているように感じる
・私の意思を尊重してくれないなんて、ひどすぎる
など攻撃的や悲観的な感情が有象無象に湧いた。
しかもその感情をぎゅっと押し殺したせいで、グツグツ煮詰めて濃縮された気がした。
次の日に、思い立って本屋に行って認知行動療法の本を購入した。
その本を元に、まず「自動思考」と「スキーマ」について正しく認識した。
「自動思考」とは長年の思考の癖で生じる、ごく自然に自動的に浮かんでくる思考のこと。自分にとって最も親しみがあり、納得できる考え方なので簡単に変えられるものではないということ。
そして「スキーマ」とは自動思考よりもっと根深い”生きる上でのルール”に当たるもの。一番根底にあるもので、意識にすら上りにくいとか。
「多くの人に承認されていないと生きている価値がない」
この一言に尽きるのだと思う。
新卒採用面接までは学力(=大学名)で自分の評価が確立していたから、自分に自信もあったし、自己肯定感高くのびのびやれていたのだと思う。
それが、社会人になって学力や大学名が関係なくなり、次は役職や会社名にこだわるようになった。
リアクションが薄い淡々とした人は承認されているかどうかがわかりづらいため、仕事上でも付き合いができなくなり、指摘されただけで自分を全否定されたように感じるようになった。
このスキーマによって生じた自動思考が今回のケースだと
・社会人たるもの正社員として働いて当たり前
・休職していたり精神疾患であることは恥ずかしく人に言ったら同情される
・私の気持ちなんて誰にもわかるわけがない
というもので、旦那氏の言葉への反発に繋がる。
そして上記のような自動思考が生まれる原因の”認知のゆがみ”には以下の10パターンがあることも理解した。
①ゼロか無か思考②一般化のしすぎ③心のフィルター④マイナス化思考⑤結論の飛躍⑥拡大解釈・過小評価⑦感情的決めつけ⑧すべき思考⑨レッテル貼り⑩個人化
これがまぁ、全体的に全部自分に当てはまる。
ワークでは、このような自動思考に反論するように促された。
・別に正社員でなくても生活出来るくらい稼げたら問題ないかも
・正社員でない期間があっても、長い人生別に問題ないかも
・言っても別に同情されないかも
・開示してみたら何か変わるかもという優しさから提案してくれたのかも
こんな感じだろうか。
意図的に無理矢理にでも可能性を書き出すことで蝕まれていた心は少し回復した。
もしかしたら認知行動療法の本的には
「だからまぁ、一旦今の会社に無理やり固執するのはやめて、ゆるやかに生きる方法を探してみるか」という結論に導きたかったのかもしれない。
しかし、私は思ったのだ。
これからも自分にこうやって表面的な反論を言い聞かせるのしんどすぎる。
「多くの人に承認されていないと生きている価値がない」がスキーマなら、「多くの人に承認されて生きていたい」という願望も紛れもない私の本心なのではないかと。
だからこそ「正社員でいたい」し「会社名にもこだわりたい」し、やっぱり「休職していることも適応障害のことも誰にも言いたくない」のだと。
そこで、「あ、だったら復職するのが一番早いかも」と結論づけた。
うまくいかないかもしれないし、結局環境は変わらないから再発する可能性もかなり高い。
でも、自分が好きで居られる自分でいるためにこんな生活を続けるわけにはいかないのだ。
それに、今回の認知行動療法で少なくとも旦那氏の言葉に対して突発的に浮かんだ怒りは自分の中でちゃんとコントロールし、意図を理解した。
他者からの言葉の受け取り方や、他者のリアクションの捉え方を認知行動療法を用いて変化させられたら、自分の根底は変えなくてもダメージは少ないかもしれない。
まずは、そっちを目指したい。
それでもダメなら、生き方を変える方にシフトしたい。
そうならなくて済むように、最後までもがきたい。